丹沢主脈縦走(1日目)
たんざわしゅみゃくじゅうそう

焼山〜蛭ヶ岳

丹沢主脈を縦走。蛭ヶ岳に一泊。
帰りのバス便を考慮し、焼山から入り大倉へ抜ける。
 
エリア 丹沢 日程一泊二日 日付2003.11.14,15 天候晴れのち曇り
同行者単独 TIME(休憩含む)6時間30分
コース 自宅(5:25)→東神奈川(5:40)→橋本駅三ヶ木行き(6:55)→三ヶ木発月夜行き(7:40) →焼山登山口(バス停)(7:55)→焼山近道ルート(9:00)→コース無し登坂(9:40)→鳥屋(10:30) →東海自然歩道→黍殻山(11:15)→姫次(12:45)→蛭ヶ岳(蛭ヶ岳山荘泊)(14:30)

カシミール5万分の1地形図より作成
国土地理院2万5000分の1=青野原、大山



焼山バス停(進行方向に向かって写す)
降りた停留所は左側。道路右に見えるバス停は三ケ木方面へ戻るバス停。 バス停の前に諏訪神社があり、その中に公衆トイレ(水洗)があった。      
焼山方面は写真前方を行き、標識に従い左に入る。

焼山バス停

自宅を5時25分に出発する。5時40分東神奈川発の横浜線で橋本駅に向かう。 橋本駅北口から6時55分発三ヶ木行きのバスにのり、終点の三ヶ木まで行く。
三ヶ木でバスを乗り継ぐ。7時40分発の月夜行きに乗る。そして7時55分、焼山登山口バス停で下車する。
朝は快晴で、三ヶ木から一緒にバスに乗ってきたお爺さんに、「最高の登山日和だね」と声をかけられた。天気予報も今日、明日は快晴と予報していた。
三ヶ木からバスに乗ったのは、自分とこのお爺さんの他に中年男性2人の計4名。お爺さん以外は3人ともリュックを背負った登山のいでたちだ。
一人(A氏)は、横浜線の途中から乗ってきてずっと一緒であった。年齢は60歳位。見た目合わないタイプの方だ。 50リッター位の大型リュックや持ち物、そして靴や着ているものも全て新品。意識したくないがどうも気になる人だ。 橋本からのバスの中では、私が行く予定の焼山方面の地図をさかんに見ていた。どうみても同じ目的地だ。まさか山小屋に泊まらないだろうな。 山小屋は蛭ヶ岳山荘しかないから、その時は一緒ではないか。一人を楽しみたい自分としては、道中一緒というのはすごい抵抗感がある。 静かな山行をしようと、せっかく休みを取って来たのに。
もう一人のB氏は、三ヶ木から乗ってきた。どうやってここまで来たのだろうか。年は50歳位で大柄なスポーツマンタイプである。 こちらは更に大きな60リッター位のリュックを背負っている。何が入っているのだろう。
私を含め三人とも朝が早かったとみえて、バスが出発するまで15分ほどありその間、各自バスの中でお弁当を食べた。
焼山バス停留所に到着。お爺さんを残し、3人とも下車した。やっぱりな。  
 

焼山へ

バスを降り、二人を見送った。自分はバス停前の諏訪神社の中に公衆トイレがあるので、そこで用をたす。 焼山登山口はバスが来た道を先へ行く。数分も歩かないうちに「焼山近道」という手書きの道標が道の左にあり、 未舗装路の細い道が左手に続いている。迷ったが、近道を行くことにした。
東海自然歩道は600m先と出ていた。
最初は農家の間を行く静かな道が、だんだん山道になる。途中でスポーツマンタイプのB氏が休憩していたが、会釈し追い抜いて先へ行く。 どうやらB氏も、近道を選択したようだ。 「写真はバス停から5分ほどのところ」  

 
2,3分ほどで水沐所橋(みずあびどはし)で西沢を渡る。倉庫のような建物の前をとおり、左手に 進む。
 


西沢が左に流れている、日が差し込まない暗い道を進む。
 


バス停から1.3km、焼山山頂まで2.7km、水沐所橋(みずあびどはし)から10分ほどの焼山分岐。ここを右手に登って行けば、 東海自然歩道に出て焼山に行ける。しかし、このまま真っ直ぐ行くこととした。道を知っているわけでもないのに、何故か そのまま真っ直ぐ進んでしまった。後で思うに、独りで歩きたいのでA氏やB氏とは、少しでも別ルートを行こうと考えていた からだと思う。地図(エアリア)を見ると東海道自然歩道と平行しており、適当なところで右に出ればいいと単純に思った。
 


しばらくは西沢に沿って進んでいたが、沢が枯沢になり、とうとう林道が無くなってしまった。その先は細い山道に なり、自分が行きたい右ではなく、左にカーブしており、手書きの小さな標識があった。「柏原ノ頭」では反対ではないか。
通常迷ったら確実な地点まで戻って、ルートを探索するのが常識である。しかし無謀にも、道は無いが尾根を右に進むこととした。 方向は判っているし、たいした距離ではないと甘く考えた。だいたい戻ればA氏やB氏と一緒になる。
 

右に進むと50mも行かずに登山道は終わった。 「道が無くなった先の尾根」
下から見た尾根。下から見ていると尾根の上が見えない。ここを登ればそこが山道のように思えてくる。
斜度は40〜50度位あり、四つんばいでも登れない。土は足首までずぶずぶもぐってしまう位柔らかい。単に落ち葉が朽ちて堆積したような土だ。 結局、歩いてはのぼれないので、手ごろな木々の枝に両腕をかけ、腕で体を引き上げるようにして登って行くことにした。 下から見ていて尾根の頂上だと期待して登っていくが、そこで次の尾根が続いている。途中エアリアではなく、2万5千図 を見て、大体の自分の位置の確認がとれているので、あまりパニックにはならなかったが、かなりしんどい状態であった。
 


「登ってきた尾根を、上から見た写真」
写真では判りにくいが、写真の少し下からはほとんど垂直に落ちているので下は見えない。一回ほど、足をすべらせ、 急斜面を20mほどすべり落ちた。お尻が汚れてしまった。小屋に行ったら恥ずかしいな。しかしよく登ったものだ。
 


悪戦苦闘すること40分。ついに踏み跡のある山道に出た。
写真は「目の前が開けたその時見えた風景」
道幅が肩幅くらいしかない狭い山道だ。地図を見るが東海自然歩道ではないようだ。 どうやら平戸から焼山に向かうルートに出たようだ。
 


方向は判っているので、山道を右に進むこと10分ほどで現れた道標。
しかし、いったんコースを外して道標に出会うとホットする。思わず設置してくれた方に感謝。
左焼山、右平戸とある。

 


さらに進むこと10分。焼山まで1.2km、平戸から5.2km地点

路傍に咲いていたリンドウと蜂
【リンドウ科リンドウ属多年草 花期10月〜11月】
 


焼山まで0.8km、平戸から5.8km地点
ここで枯れ沢を越えることになるが、越えた先にコースが発見できない。道標も焼山方面は枯れ沢を 登るような向きに付いている。(写真10時の方向)ここで10分ほど枯れ沢を登ったりしばらく回りを捜索し、やっとコース を発見した。なんと、標識とは反対に枯れ沢を下に渡った先に踏み跡が在った。(写真8時の方向)
 


鳥屋分岐
急斜面を登っていくと東海自然歩道に出た。「鳥屋」方面から登ってきた。
焼山は右手へ下ること0.6kmとある。姫次は左手4.3km。 焼山の先に出てしまった。焼山へは戻らなければならない。ここまでの悪戦苦闘で体力を消耗しており、 これから先の道中を考え、先へ行くこととした。
 

 


東海自然歩道から姫次に方面に向かって左側に見えるた宮ヶ瀬湖
このときまでは天気もよく、乾いた落ち葉を踏みしめ気持ちの良い山行が楽しめた。

 


黍殻山入り口(鳥屋分岐から50分)

 


東海自然歩道の脇を歩く小鹿と母鹿
黍殻山入り口付近で、自然歩道の脇20m位を親子鹿が歩いていました。向こうは気が付かないようで、 しばらく並行して歩きました。最初にこちらに気が付いたのは小鹿の方でした。その後、母鹿もこちらに気が付き 緊張した様子でこちらを見ていました。

 


姫次の直前で、赤い実が沢山生った木が数本見えて来た。周りは落葉しておりその艶やかさに違和感を覚えた。
マユミ(真弓)の実
【ニシキギ科ニシキギ属 落葉低木 花期5〜6月】
材は弾力性があり、弓を作ったことからこの名がついた。緻密で狂が少ないため、現在でもこけし等の細工用に利用されている。 10〜11月ごろ、直径1cm程度の果実が淡紅色に熟し、4つに裂けて4個の種子が顔を出す。赤い実は美しいが有毒。


姫次

12時45分、鳥屋分岐から約2時間でやっと姫次に到着。誰もいない姫次は静かで最高。ここでやっと昼食を取った。 しばらく休憩する。  

少し天気が怪しくなってきた。ここまで、誰にも合わず静かな山行であったが、休憩していると、 焼山方面から50歳代位の人のよさそうな感じの男性(C氏)が来て、あなたは蛭ヶ岳方面から来たのですかと聞いてきた。自分はこれから 蛭ヶ岳へ行くところだと答えると、今日は平日なので蛭ヶ岳山荘が営業しているか知りたいとのことであった。 蛭ヶ岳山荘は通年営業の小屋だと答え、予約を入れてありますかと聞いたら、入れたいないと答えた。自分が小屋に電話して 予約を入れたとき、小屋の人が予約なしで来る人が多くて困るといっていたことを思い出した。 山小屋は断ることができないのだ。
直ぐにC氏は蛭ヶ岳目指し出発 していった。自分はもう少し休憩し、C氏と完全に離れてから出発した。
姫次から望む蛭ヶ岳

姫次から35分程の地蔵平付近。カラ松の枯れ葉が一面に降り積もっている。深山で神秘的な雰囲気がある。
苔むした大きなブナの倒木など、めったに人が来ないエリアを歩いていると実感する。
場所は地蔵平  


ついに途中からガスってきた。今日明日は快晴といったから、休みをとって来たのに。 やはり山の天気はあてにはならない。
姫次から1時間20分、蛭ヶ岳まで20分ほどの木の階段の急坂を登り、姫次方向を写す。  

姫次から2.9km、蛭ヶ岳まで0.4km地点。最後の急坂は膝が痛く、まともに登れない。今回の山行は距離も長く、 膝痛が出ないようゆっくり歩くつもりでいたが、焼山までの道も無い尾根を無理して登ったのが、膝にダメージを 与えたようだ。一歩づつ階段が登れないので半歩づつゆっくり登っていく。倍の時間がかかる。 明日、まともに歩けるだろうか心配だ。
 

蛭ヶ岳


0.4kmを15分かけてどうにか登りきった。頂上に付くころは完全に視界は効かない。頂上には人のよさそうなC氏がいた。 どうやら先ほど予約をしているのかと聞かれたことを気にしているのか、泊めていただけますかねと心配している。 私が山小屋は断ることはできないんですよ、と言って一緒に誘って山荘に入っていった。
 

中に入って受付を済ませ、ストーブに当たりにいくと、やっぱりA氏とB氏が既に到着していた。小屋の人が 寝床を割り当ててくれた。一番奥の壁から3番目であった。1番目は見た目が苦手のA氏、2番目(左隣り)はスポーツマンタイプのB氏、 そして右隣りは人のよさそうなC氏であった。 朝から一緒だった人たちと、なんと同じ小屋で枕を並べて隣同士で寝るなんて、やだやだと思っていたがやっぱり逃れることはできなかった。
蛭ヶ岳山荘は定員40名で、今日は百名山ツアーの20人を含め40人だそうだ。今日はなんとか布団一つに一人で寝れる。
ツアー以外の20人は、中年の夫婦が10人程度で、他は私と同じ中年男性の単独行だ。
後で小屋の人に聞いたのだがピークは40名定員に140人が泊まったそうだ。食堂の大広間も布団でいっぱいになり、食事も 5回に分けてとったそうだ。
夕食は5時からなのでストーブにあたって暖を取る。 4時過ぎにツアー客20人が到着しにわかに騒がしくなった。5時から2班(後半はツアー客)に分けて夕食を食べる。ここは 一泊2食で6千円だが、素泊まりは4千円になる。聞いていたが食事はひどくまずい。料理といっても白米を炊くだけで、暖める だけのおでんを発砲スチロールの器で食べるのだ。あとはタクアンと簡単な漬物だけ。暖かい食事はありがたいが、とにかく飯が まずい。
消灯は8時だが、5時30分に食事を済ませると何もすることがない。寒いので布団に入って休憩していたら、しばらく寝てしまった。 ソーラーで電気が使えるようで、食堂の大広間ではTVを点けており、相撲の中継が聞こえていた。何だまだ6時前なのか。 そして8時、電気が消され就寝。膝が痛いのと足がつるので布団のなかでもうなっていた。明日は歩けるのか。
ところで、苦手なタイプのA氏はすごい。何がすごいといって、その荷物の中身。行き帰りの服装とは別に、部屋着に着替えていたと 思ったら、何と寝るときはパジャマに着替えていた。ホテルや旅館と間違えているのではないか。私は荷物を最小限にするため、 一切着替えはなし。尾根を滑り落ちたズボンのまま寝た。着替えは予備の下着のみ。
 

<続く>丹沢主脈縦走(2日目)へ


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