エリア | 丹沢 | 日程 | 一泊二日 | 日付 | 2003.11.14,15 | 天候 | 晴れのち曇り |
同行者 | 単独 | TIME(休憩含む) | 6時間30分 |
コース | 自宅(5:25)→東神奈川(5:40)→橋本駅三ヶ木行き(6:55)→三ヶ木発月夜行き(7:40) →焼山登山口(バス停)(7:55)→焼山近道ルート(9:00)→コース無し登坂(9:40)→鳥屋(10:30) →東海自然歩道→黍殻山(11:15)→姫次(12:45)→蛭ヶ岳(蛭ヶ岳山荘泊)(14:30) |
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2,3分ほどで水沐所橋(みずあびどはし)で西沢を渡る。倉庫のような建物の前をとおり、左手に
進む。
西沢が左に流れている、日が差し込まない暗い道を進む。
バス停から1.3km、焼山山頂まで2.7km、水沐所橋(みずあびどはし)から10分ほどの焼山分岐。ここを右手に登って行けば、
東海自然歩道に出て焼山に行ける。しかし、このまま真っ直ぐ行くこととした。道を知っているわけでもないのに、何故か
そのまま真っ直ぐ進んでしまった。後で思うに、独りで歩きたいのでA氏やB氏とは、少しでも別ルートを行こうと考えていた
からだと思う。地図(エアリア)を見ると東海道自然歩道と平行しており、適当なところで右に出ればいいと単純に思った。
しばらくは西沢に沿って進んでいたが、沢が枯沢になり、とうとう林道が無くなってしまった。その先は細い山道に
なり、自分が行きたい右ではなく、左にカーブしており、手書きの小さな標識があった。「柏原ノ頭」では反対ではないか。
通常迷ったら確実な地点まで戻って、ルートを探索するのが常識である。しかし無謀にも、道は無いが尾根を右に進むこととした。
方向は判っているし、たいした距離ではないと甘く考えた。だいたい戻ればA氏やB氏と一緒になる。
右に進むと50mも行かずに登山道は終わった。
「道が無くなった先の尾根」
下から見た尾根。下から見ていると尾根の上が見えない。ここを登ればそこが山道のように思えてくる。
斜度は40〜50度位あり、四つんばいでも登れない。土は足首までずぶずぶもぐってしまう位柔らかい。単に落ち葉が朽ちて堆積したような土だ。
結局、歩いてはのぼれないので、手ごろな木々の枝に両腕をかけ、腕で体を引き上げるようにして登って行くことにした。
下から見ていて尾根の頂上だと期待して登っていくが、そこで次の尾根が続いている。途中エアリアではなく、2万5千図
を見て、大体の自分の位置の確認がとれているので、あまりパニックにはならなかったが、かなりしんどい状態であった。
「登ってきた尾根を、上から見た写真」
写真では判りにくいが、写真の少し下からはほとんど垂直に落ちているので下は見えない。一回ほど、足をすべらせ、
急斜面を20mほどすべり落ちた。お尻が汚れてしまった。小屋に行ったら恥ずかしいな。しかしよく登ったものだ。
悪戦苦闘すること40分。ついに踏み跡のある山道に出た。
写真は「目の前が開けたその時見えた風景」
道幅が肩幅くらいしかない狭い山道だ。地図を見るが東海自然歩道ではないようだ。
どうやら平戸から焼山に向かうルートに出たようだ。
方向は判っているので、山道を右に進むこと10分ほどで現れた道標。
しかし、いったんコースを外して道標に出会うとホットする。思わず設置してくれた方に感謝。
左焼山、右平戸とある。
さらに進むこと10分。焼山まで1.2km、平戸から5.2km地点
路傍に咲いていたリンドウと蜂
【リンドウ科リンドウ属多年草 花期10月〜11月】
焼山まで0.8km、平戸から5.8km地点
ここで枯れ沢を越えることになるが、越えた先にコースが発見できない。道標も焼山方面は枯れ沢を
登るような向きに付いている。(写真10時の方向)ここで10分ほど枯れ沢を登ったりしばらく回りを捜索し、やっとコース
を発見した。なんと、標識とは反対に枯れ沢を下に渡った先に踏み跡が在った。(写真8時の方向)
鳥屋分岐
急斜面を登っていくと東海自然歩道に出た。「鳥屋」方面から登ってきた。
焼山は右手へ下ること0.6kmとある。姫次は左手4.3km。
焼山の先に出てしまった。焼山へは戻らなければならない。ここまでの悪戦苦闘で体力を消耗しており、
これから先の道中を考え、先へ行くこととした。
黍殻山入り口(鳥屋分岐から50分)
中に入って受付を済ませ、ストーブに当たりにいくと、やっぱりA氏とB氏が既に到着していた。小屋の人が
寝床を割り当ててくれた。一番奥の壁から3番目であった。1番目は見た目が苦手のA氏、2番目(左隣り)はスポーツマンタイプのB氏、
そして右隣りは人のよさそうなC氏であった。
朝から一緒だった人たちと、なんと同じ小屋で枕を並べて隣同士で寝るなんて、やだやだと思っていたがやっぱり逃れることはできなかった。
蛭ヶ岳山荘は定員40名で、今日は百名山ツアーの20人を含め40人だそうだ。今日はなんとか布団一つに一人で寝れる。
ツアー以外の20人は、中年の夫婦が10人程度で、他は私と同じ中年男性の単独行だ。
後で小屋の人に聞いたのだがピークは40名定員に140人が泊まったそうだ。食堂の大広間も布団でいっぱいになり、食事も
5回に分けてとったそうだ。
夕食は5時からなのでストーブにあたって暖を取る。
4時過ぎにツアー客20人が到着しにわかに騒がしくなった。5時から2班(後半はツアー客)に分けて夕食を食べる。ここは
一泊2食で6千円だが、素泊まりは4千円になる。聞いていたが食事はひどくまずい。料理といっても白米を炊くだけで、暖める
だけのおでんを発砲スチロールの器で食べるのだ。あとはタクアンと簡単な漬物だけ。暖かい食事はありがたいが、とにかく飯が
まずい。
消灯は8時だが、5時30分に食事を済ませると何もすることがない。寒いので布団に入って休憩していたら、しばらく寝てしまった。
ソーラーで電気が使えるようで、食堂の大広間ではTVを点けており、相撲の中継が聞こえていた。何だまだ6時前なのか。
そして8時、電気が消され就寝。膝が痛いのと足がつるので布団のなかでもうなっていた。明日は歩けるのか。
ところで、苦手なタイプのA氏はすごい。何がすごいといって、その荷物の中身。行き帰りの服装とは別に、部屋着に着替えていたと
思ったら、何と寝るときはパジャマに着替えていた。ホテルや旅館と間違えているのではないか。私は荷物を最小限にするため、
一切着替えはなし。尾根を滑り落ちたズボンのまま寝た。着替えは予備の下着のみ。