屋久島観光編


屋久島観光の記録です。屋久島へは羽田から鹿児島空港に着き、鹿児島本港北埠頭から船便 トッピー号(屋久島の名産トビウオから命名)で屋久島に入りました。



鹿児島本港北埠頭(トッピー乗り場)

二日前(12月4日)に降った雪が桜島の左側に白く見えています。例年よりかなり早い初雪のようです。
今日は条件付ということで、3日振りになんとかトッピー号は出航できそうです。後でトッピー号で隣に座った 地元の女性(おばさん)に聞いたところ、鹿児島湾を出て波が荒い場合は引き返すという条件だそうです。 でも、その女性いわく、過去に一旦出航して引き返したことはないそうです。
乗り場の待ち合わせ場には、修学旅行の高校生がたくさんいました。見ると東京都立高校生のようです。 朝が早かったのか、ここでお弁当を食べています。あーぁ、船に乗る前に食べて大丈夫かね。


トッピー号

朝日にきらめく、鹿児島湾にトッピー号が白波をたてて現れました。水中翼船で船体が空中に浮いているのが見えます。 時速80qで走るそうです。よって波高が3mを越えると運休になるのです。全席指定席で既に予約で満席だそうです。
(写真は湾内に入り着水状態で推進している)


開聞岳

鹿児島本港北埠頭を出航し、屋久島に向かいます。鹿児島湾内は若干波は有るものの、思ったより揺れません。 途中で指宿港に寄り、満席となり屋久島を目指します。まもなく右舷に開聞岳が見えてきました。
円錐形の綺麗な山容です。ここも登れるので、是非登ったみたい山です。



屋久島上陸(宮之浦港)

外海に出ると、波頭が白く風も強そうです。船も揺れています。スピード表示計が船内にあり、80qで疾走しているのが 分かります。高校生ははしゃぎすぎで前日の寝不足?もあり、ダウンしている人が結構いました。
退屈な船旅になるかと思いましたが、隣に座った屋久島の女性と色々な話(主に女性の屋久島での昔話)をしているうちに 宮之浦港に到着しました。話の中で、女性に初孫ができ鹿児島の孫の家と屋久島の自宅を月に1回は往復しているそうです。
港はかなり風が強く、天候もパッとしません。宮之浦港の埠頭は改装中で、今度来るときはずいぶん立派になりそうです。 外は、レンタカー屋、宿の案内、ツアー客の 案内などたくさんの人で一杯でした。




屋久島の形はほぼ丸く、場所の位置を表すのに、時計の数字で表すと分かり易いです。


ガジュマル園(志戸子)

宮之浦港は時計の針で2時のあたり。宮之浦港から北上し12時あたりにある志戸子(しとこ)ガジュマル園です。



ガジュマルは、亜熱帯産クワ科の植物で、屋久島の海岸線沿いに多く見られます。なかでも志戸子ガジュマル園では、 うっそうと茂った群生が圧巻で、自生の北限地としても知られています。

ガジュマルを特徴づけているのが、幹から無数に垂れ下がる「気根」。多雨のため、土中ではなく空中から 空気呼吸するためと言われています。成長すると、もとの幹と区別がつかなくなり、しまいには古い幹は 枯れ、気根が新しい幹となっていきます。このためガジュマルは「歩く木」とも呼ばれています。
(写真右は空中にある根の先)


ボタニカルリサーチパーク

時計の針で5時あたりにある、屋久島有用植物リサーチパーク(ボタニカルリサーチパーク)
有用植物と屋久島の自然を凝縮したパークには、世界中から集められた有用植物を採取・普及した プラントハンターのエピソードとともに有用植物を紹介しています。

園内には、園内にあるさまざまな植物を見学する無料のバスが出ており、実際に果物を手ににしながら楽しい説明と ともに散策ができます。


トローキの滝

ボタニカルリサーチパーク内から望んだトローキの滝。
鯉ノ川に架かる赤い橋とモッチョム岳を背にして、直接海に流れ落ちる珍しい滝です。
落差は6mですが、満ち潮と引き潮では落差が異なるとか。たしかに滝つぼが直接海になるのは見た事がありません。


『日本でも希有とされる、海に直接注ぐ滝として有名で、潮の干満によって6〜8mの落差を生じます。 名前の由来は、海面に落ちる水音から「とどろきの滝」と言われましたが、それがくずれて「トローキの滝」 になったと言われます。』



平内海中温泉

時計の針で6時ちょっと過ぎのあたりにあります。道路から少し下った先の海岸にあります。駐車場もあります。



平内海岸の海中から湧き出している天然温泉。一日2回、干潮の前後の2時間のみ入浴できるようです。
入浴料は寸志(100円程度)で、入金箱があります。入浴にはあと、勇気が必要です。
桟橋の途中で靴を脱ぎ、海岸へ向かうと、観光客が入っているのが見えます。自分たちが大勢きたので、 出るに出れない様子で、思わず笑ってしまいました。


数箇所有る湯船は短い桟橋の先の波打ち際にあり、波が湯の中に打ち寄せることもあるそうです。 温泉は囲いがなく、水着着用禁止なので、女性は夜の部が安全かもしれません。でも天気がよければほんとうに 絵になりますね。


大川(おおこ)の滝

場所は時計の針で9時あたりです。
西部林道の入口に位置する落差88mの滝で、南九州最大の規模です。「日本の滝100選」で、 最南端の滝でもあります。
滝壺まで行けるので、飛沫を浴びながらそのスケールを満喫しました。断崖から豪快な水しぶきを あげて滑り落ちるさまは実にダイナミックです。



中間ガジュマル

時計の針で8時あたりにある、中間ガジュマルです。
ここは、志戸子ガジュマル園と異なり、集落の入口にトンネル状になっているガジュマルです。木の下には 長いすがあり、夏の日中や夕方、地元の人が涼をとりながら憩う風景が見られるそうです。
なお、この場所はNHK朝のテレビ小説「まんてん」のロケ地になったようです。内容は主人公「日高満空」が 宇宙飛行士になりたいという夢に向かって大きく羽ばたく物語だそうです(すいません、見ていないもので)。 種子島の宇宙ロケット基地が近いのも関係が有るのかもしれませんね。



中間浜(ウミガメの産卵)

屋久島はウミガメの産卵地として、有名な永田いなか浜をはじめ数箇所あるそうです。
ここ中間浜も数は少ないが産卵地になっているそうです。



千尋の滝

場所は時計の針で5時付近、ポタニカルパークの傍です。
島の中央部から麦生地区までを結ぶ鯉ノ川が深いV字谷の底へと一気に流れ落ちる豪快な滝。 400×200mほどもある花崗岩の巨大な一枚岩と流れ落ちる滝の組み合わせは、スケール、景観ともに類をみない有名な滝です。



屋久島いわさきホテル(尾之間温泉)

尾之間温泉(時計の針の6時)にある屋久島いわさきホテルに宿泊しました。


窓からモッチョム岳が目の前に広がる。夕日に輝く雄大は景観は抜群でした。






鹿児島観光編

屋久島に入るには、鹿児島空港で飛行機に乗り換えるか、鹿児島港から船に乗り換えるか、 どちらにしても鹿児島に立ち寄らなければなりません。そんなわけで、鹿児島も観光してみました。



鹿児島空港到着

出発時、羽田は晴れていましたが、鹿児島空港は雨が降っていました。 その後、陽が差したり、強い雨になったり、非常に不安定な天候でした。



知覧武家屋敷

どうも庭には興味がないせいか、あまり面白くありませんでした。唯一面白いと思えたのは、城としての機能です。 見通しの利かない道、見えない坂道、いざとなったら武器として投げる石垣。どうも枯山水の世界は 10年早いようです。

『江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と 呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治にあたらせました。知覧も その外城の一つです。
「知覧麓の武家屋敷郡は、薩摩の麓の典型的な作例の一つで、折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と 生垣からなる景観にも優れ、我が国にとってその価値は高い。」として昭和56年に国の重要伝統的建造物郡 保存地区に選定されています。また、同時に地区内7つの庭園が「優れた意匠で構成されており、またその 手法は琉球庭園と相通じるものがあり、庭園文化の伝播を知る上でも貴重な存在である。」として国の名勝 に指定されました。指定された7つの庭園の中で森氏庭園のみが池泉式で、ほかは全て枯山水式となっています。』




知覧特攻平和会館

資料館にある特攻隊員の年齢はほとんどが、19,20,21歳で占められています。当時の青年が父母を思い、 国を思い、死んでいった記録を目の前にして、今の平和がいかに幸せなことかとつくづくと思います。資料館に 続く道沿いの灯篭には、特攻で亡くなった1,036人の遺影が石で彫られています。なんだか彼らがそこに居る様な 気持ちになります。彼らを支えた地元の人たちや女学生の行動に接し、ただただ涙が出ました。人間はいつの世も平和を 口にしながら、何故戦争をするのでしょう。ここには歴史には書かれない、人間の生き様があります。

『この特攻平和会館は、大東亜戦争末期(太平洋戦争)、沖縄決戦に人類史上類のない爆装した飛行機もろとも 肉弾となり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して 当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するものです。
知覧は、昭和17年、太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校、少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官らが 操縦訓練を重ねていたが戦況が緊迫し険悪となり遂に昭和20年本土最南端の特攻基地となり「若き勇士が 雲流るる果て、遥か逝いて帰らざる」壮途につかれた思い出深い地であります。
沖縄特攻で散華された1,036柱の隊員は、知覧基地を主軸とする万世・都城基地及び第8飛行師団は台湾基地、 義烈空挺隊は健軍(熊本)基地から出撃しています。
これら至情至純の霊が「とこしえ」に安らかならんことを祈念して全国から浄財を集め、昭和30年に特攻平和 観音堂、昭和49年に特攻銅像、昭和50年に特攻遺品館が建立されて以来、年々ふえる観覧者や遺品収集で手狭 となったので、知覧町がまちづくり特別対策事業の一環として、昭和60年から2ヵ年継続事業で特攻平和会館 を新築しました。毎年5月3日の特攻観音慰霊祭には全国から参拝者が訪れています。』




指宿ホテル

鹿児島での一泊目は指宿温泉にある指宿いわさきホテル。指宿の温泉町に不釣合いな立派なホテルです。 実はこのホテルは2回目です。1回目は高校の修学旅行が九州一周で、そのときに泊まったホテルがここ(のようです)。 当時、なにが感激したかと言えばジャングル風呂でした。巨大な室内に熱帯の木々が生い茂り、プールのような 大きな風呂がたくさんありました。そのときの記憶で指宿といえばジャングル風呂。しかし、35年振りに訪れたホテルは ジャングル風呂から砂蒸し温泉に目先を変えていました。
とにかく立派なホテルです。大浴場や露天風呂も素晴らしいです。まるで鹿児島湾を独り占めするように山の中腹にあり、最高の眺めです。 食事も懐石料理で、食べきれないほどで出ました。リッチな気分に浸れるホテルでした。

なお、鹿児島2泊目は市内の天文館にあるホテルに宿泊。ここでは鹿児島名物の黒豚のしゃぶしゃぶを食べました。ご馳走様でした。



JR指宿駅から鹿児島駅へ

鹿児島港へ行くために、指宿駅からJRで鹿児島中央駅へ向かいました。最初はガラガラでしたが、鹿児島へ近づく に従い、混んできました。学校や会社に行くのでしょうか、ずいぶん若い人が多いなという感じです。若い人のファッションは 東京と何ら変わりはなく、情報のスピードが如何に速いかが肌で感じられます(実は、34年前に青森へ行ったときは、 東京との違いが歴然で、びっくりした記憶がありました)。



鹿児島中央駅前

立派な駅です。観覧車もあるのか。
市内観光用に「カゴシマシティビュー」という周遊バスに乗りました。これは1回180円で、市内の名所旧跡を回っており、 どこまで乗っても180円といものです。駅の観光案内で観光マップをもらって、いざ観光へ。



西郷洞窟

鹿児島といったら西郷さん。とにかく西郷さん関連の史跡が沢山あります。
西南戦争で西郷さんが最後にこもった洞窟です。さびしく寒いところでした。



城山

ご存知、城山からの展望。あいにく桜島の上は雲に隠れています。



鶴丸城跡

77万石の本拠は天守閣をもたない屋形づくり。
鶴が翼を広げた形をしていることから鹿児島城は別名鶴丸城と呼ばれていました。


『1601年(慶長6)島津家18代家久(いえひさ)が、関原の合戦の後、上山城(城山)の補修と麓の居館づくりを 思い立ち、父義弘(よしひろ)のここは海に近すぎ危ないと言う反対を押し切って着工します。家久はこの地を 政治・経済の中心地として城下町の建設を始めたのです。まず居館を築き、その周辺に家来の屋敷を移し、1606年 (慶長11)城の前の橋が完成したとされています。
城といっても本丸、二の丸、下屋敷が並び、天守閣や層楼のない屋形づくりでした。これは「城をもって守りと成さず、 人をもって城と成す」という薩摩藩流の思想によるもので、藩内の名所には兵農一致の郷土団が守る外城がめぐらされていました。 城下は鶴丸城を中心に武家屋敷、その外側に上町6町、下町12町、そして西田町4町が設けられ、5000人あまりの町人が集められ ましたが、圧倒的に武士の多い城下町だったようです。維新後は、熊本鎮台の分営として使われ、1873年(明治6)炎上。 残されたのは城壁と疑宝珠つきの石橋だけとなりました。』




西郷銅像

明治維新に最大の功績を残した「西郷どん」、我が国初の陸軍大将の制服姿のモニュメント。
作者は安藤照(鹿児島出身)



ザビエル公園

−この地から、日本のキリスト教史が始まった−
『博学にして礼儀ある人と島津家菩提寺福昌(ふくしょう)寺の僧侶であった忍室(にんしつ)という和尚は、 宣教師フランシスコ・ザビエルの学識と人柄をたたえました。二人の親しい交わりは「白坊主(ザビエル) と黒坊主(忍室)の語らいとして記録されています。
1549年(天文18)8月15日イスパニアのザビエルは日本人ヤジロー(鹿児島県出身)の案内で、鹿児島に上陸 し日本へのキリスト教布教の第一歩をしるしました。島津家15代貴久は伊集院の一宇治城でザビエルと対面し、 領内布教を許可しました。ところがその後、仏教徒の激しい反対にあったり、期待した貿易船がやって来なかった ことで貴久は布教に冷たくなります。鹿児島を去ったザビエルは平戸から山口、堺、京都まで足をのばし、 日本のキリスト教伝道の道を開き、豊後(ぶんご(今の大分県))の沖之浜からマラッカ(今のマレーシア南西部) にむけて帰航の途につきました。そして、ついに1552年中国で亡くなりました。
日本滞在中にザビエルは初代インド管区長に任命されています。なお、この石造りの建造物は、明治年間に建てられ 戦災で焼失した記念堂の一部です。戦後の1949年ザビエル渡来400年を記念して、ローマ法王の寄付金をもとに教会 が建設され、同時にザビエルの胸像も建てられました。』




大久保利通像

−藩閥意識を越えて新生日本の近代化に尽くす−
『大久保利通は明治草創期の指導的政治家です。1830年(天保元)に生まれ、幼名は正袈裟(しょうけさ) 、通称は一蔵、号を甲東と称しました。幕末期、薩摩藩下級武士のリーダーとして藩論を尊皇にまとめる 一方、最後の藩主島津忠義の父久光の信頼をえて、藩政の改革にも手腕をふるいました。
薩英戦争後はイギリスとの講和をまとめ開国に目覚めるとともに、沖永良部から西郷隆盛を呼び戻し、 歴史的な名コンビとして倒幕に奔走、薩長同盟の締結をみて、ついに1867年(慶応3)明治維新が達成 されたのです。
新政府樹立後は政界の中心人物として、版籍奉還、廃藩置県の実現につとめ、大蔵卿時代は地租改正の 建議を行いました。また、欧米諸国を視察し、帰国後は内務省を設立し事実上の首相ともいうべき内務卿 を兼務しました。
ところがこの頃から西郷隆盛と対立、西南戦争によって竹馬の友を失ったのです。その大久保もまた、 1878年(明治11)出勤途中を襲われ急死。ロンドンタイムスは、「彼の死は日本全国の不幸である」と 報じました。』

(写真右は大久保利通誕生之地)


維新ふるさと館

西郷隆盛らが育った加治屋町にあり、ハイテク演出(ロボット人形)により、明治維新のドラマチックな 歴史が体感できる施設です。結構お金をかけています。




仙厳園

『仙厳園は、万治元年(1658)19代島津光久が別邸として築いたもので、その景観が中国(江西省)竜虎山 (りゅうこざん)山麓の仙厳に似ているところから名づけられました。また、寛文(かんぶん)12年(1672)、 邸内に一亭を構えたところ落成の日に鶴が舞い降りたので「喜鶴亭(きかくてい)」ともよばれるように なりました。
照葉樹林に覆われた磯山を背に、錦江湾や桜島を庭の景観に取り入れた借景の雄大さは、日本一であると いわれています。また、自然の美しさを最大限に生かした日本庭園を基本としながらも、園内には、琉球 国王から送られた「望厳楼(ぼうがくろう)」をはじめ、「江南竹林」「曲水庭」「千尋厳」など、 中国・琉球文化の影響が至ところに見られることも特色の一つです。特に曲水の庭は、作庭当時の姿をほぼ そのまま今日に伝え、我が国最大級のものです。』




鹿児島空港から羽田へ

写真右:夕暮れの中、鹿児島空港を離陸し、まもなく雲の上に出ました。雲の上はまだ日が沈んでいません。雲の向こうに 日が沈んでいくのが見えます。今日2回目のサンセットです。



山行の記録へ


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このページに直接入られた方へ。
当ホームページはこちらです⇒ 晴れときどき山歩記 「丹沢を中心に車で行く、日帰り山歩きの記録」













事の計画とその結果


日数 日付 計画 宿泊 実行 宿泊
1 12月4日 羽田空港(8:00JAL1863便)→鹿児島空港=鹿児島本港北埠頭〜〜トッピー65便〜〜種子島(西之表港) =「千座の岩屋・宇宙センター」=南種子 南種子 羽田空港(8:00JAL1863便)→鹿児島空港=鹿児島本港北埠頭=「知覧武家屋敷・知覧特攻平和会館 =指宿温泉 指宿温泉
2 12月5日 南種子=「門倉岬・鉄砲博物館」=種子島(西之表)〜〜トッピー64便〜〜屋久島(安房港)= =「ボタニカルリサーチパーク」「ヤクスギランド・紀元杉」=尾之間温泉 尾之間温泉 指宿温泉−JR−鹿児島中央駅・・「市内観光」(西郷洞窟、城山、鶴丸城跡、西郷銅像、ザビエル公園、 大久保利通像、維新ふるさと館)・・・鹿児島市内天文館 鹿児島市内
3 12月6日 縄文杉登山 尾之間温泉 鹿児島本港北埠頭〜〜トッピー63便〜〜屋久島(宮之浦港)=「屋久島観光」(志戸子ガジュマル園、 ボタニカルリサーチパーク、トローキの滝、平内海中温泉、大川の滝、中間ガジュマル)=尾之間温泉 尾之間温泉
4 12月7日 尾之間温泉=「千尋の滝」=屋久島(宮之浦港)〜〜トッピー63号〜〜鹿児島本港北埠頭= 鹿児島市内「仙巌園」=鹿児島空港(17:30JAL1874便)→羽田空港 --- 白谷雲水峡トレッキング 尾之間温泉
5 12月8日 --- --- 尾之間温泉=「千尋の滝」=屋久島(宮之浦港)〜〜トッピー63号〜〜鹿児島本港北埠頭= 鹿児島市内「仙巌園」=鹿児島空港(17:30JAL1874便)→羽田空港 ---